原作未読。大林宣彦版の映画は観た記憶があるが細部までは憶えていない。
日本とイギリスの文化の違いは当然だが、お盆のないイギリスが舞台で、さらに原作にはない主人公のゲイ設定を加えたことで、孤独と郷愁の念の中での死別した両親との関係の再構築というメインストーリーよりもゲイとしての生きにくさに焦点が当たってしまって(監督が描きたかったのは当然こっち)、日本人としては共感しにくくなってしまった。
監督の主義・主張かもしれないが、クスリやSEXシーンも原作のテーマを薄めてしまった(同じ監督の作品の「ウィークエンド」にも同様のシーンがあるが、こちらは作品テーマに沿っていてアリ)。
ハリーのエピソードも名取裕子バージョンほどのインパクトは無い。
余計な説明が無いまま会話劇が進むのも悪くはないが、置いてけぼりにされる観客も少なくないのではないかと心配になる。
ただ、役者それぞれの演技は素晴らしい。
どうしても、大林宣彦監督の『異人たちの夏』(1988年)と比較してしまう。
大林の描く不思議な映画的小世界に惹かれ、秋吉久美子が魅力的であったと記憶している。
イギリス映画『異人たち』は同性愛(ゲイ)を取り上げている。そのこと事態は否定しないが(イギリス映画『キャロル』もアブノーマルな同性愛(レズ)を描いている)インテリ階級が好みそうな内容で、僕には〔荷〕が重かった。
終盤25分位からラストまでの映画構成の巧妙さには感心したが………
原作は山田太一の『異人たちの夏』大林作品は原作に忠実であるが、本編はかなり脚色してある。そこに違和感を感じてしまった。評価は見る人によって大きく分かれると考えられる。
所謂(いわゆる)作家主義映画の宿命である。前述べした通り、僕にとっては〔荷〕が重かった所以(ゆえん)である。
美しい映画でした。ちゃんとゲイの猥雑な部分にも触れてて好感が持てました。原作の小説も読んでみようと思います。
この感想にはネタバレが含まれています!
ネタバレフィルター解除原作未読。大林宣彦版の映画は観た記憶があるが細部までは憶えていない。
日本とイギリスの文化の違いは当然だが、お盆のないイギリスが舞台で、さらに原作にはない主人公のゲイ設定を加えたことで、孤独と郷愁の念の中での死別した両親との関係の再構築というメインストーリーよりもゲイとしての生きにくさに焦点が当たってしまって(監督が描きたかったのは当然こっち)、日本人としては共感しにくくなってしまった。
監督の主義・主張かもしれないが、クスリやSEXシーンも原作のテーマを薄めてしまった(同じ監督の作品の「ウィークエンド」にも同様のシーンがあるが、こちらは作品テーマに沿っていてアリ)。
ハリーのエピソードも名取裕子バージョンほどのインパクトは無い。
余計な説明が無いまま会話劇が進むのも悪くはないが、置いてけぼりにされる観客も少なくないのではないかと心配になる。
ただ、役者それぞれの演技は素晴らしい。
どうしても、大林宣彦監督の『異人たちの夏』(1988年)と比較してしまう。
大林の描く不思議な映画的小世界に惹かれ、秋吉久美子が魅力的であったと記憶している。
イギリス映画『異人たち』は同性愛(ゲイ)を取り上げている。そのこと事態は否定しないが(イギリス映画『キャロル』もアブノーマルな同性愛(レズ)を描いている)インテリ階級が好みそうな内容で、僕には〔荷〕が重かった。
終盤25分位からラストまでの映画構成の巧妙さには感心したが………
原作は山田太一の『異人たちの夏』大林作品は原作に忠実であるが、本編はかなり脚色してある。そこに違和感を感じてしまった。評価は見る人によって大きく分かれると考えられる。
所謂(いわゆる)作家主義映画の宿命である。前述べした通り、僕にとっては〔荷〕が重かった所以(ゆえん)である。
美しい映画でした。ちゃんとゲイの猥雑な部分にも触れてて好感が持てました。原作の小説も読んでみようと思います。