今から70年程前の黒澤作品をカズオ・イシグロ脚本、オリヴァー・ハーマナス監督が蘇らせてくれた。
黒澤の『生きる』は48年程前に、当時〔東宝名作シリーズ〕の第1弾としてリバイバル公開された時に見ている。モノクロ・スンダードで音声も、画質も決して良くはなかったと記憶している。志村喬、小田切みきが抜群で映画は素晴らしかった。
イギリス版は1953年のロンドンを舞台にしている。時代背景としては黒澤映画と同じである。違いは第二次世界大戦の勝者と敗者の差であり、街並み、生活様式に豊かさを感じる。
映画の冒頭にも登場するSLがイギリス郊外を走っていくシーンが牧歌的で美しい。ロンドン市内を走っている二階建ての赤いバスなどを今どき珍しい、スタンダードサイズの画面で写していく映像に黒澤映画へのオマージュを感じる。
見ていて上手いと思った箇所(場面)があった。黒澤映画との比較になるが、この映画最大の見せ場は〔主人公〕が亡くなってからの展開である。
黒澤映画は主人公の家でお通夜を通して〔室内劇〕いうスタイルで個性的な役者(千秋実、左卜全、藤原釜足)が故人を語り合うシーンをイギリスではどのように再現するのか?と興味を持ってみていたら、〔列車内〕という〔室内〕を利用して再現してくれた演出と上手さに感心した。
渋い内容で、派手な見せ場はないが、人の心に突き刺さってくる魂のぬくもりを感じる映画で、雪の降る寒い夜にブランコを漕いでスコットランド民謡〔ナナカマドの木〕を歌っているシーンは、黒澤映画にひきをとらないラストである。
※追伸
BSで録画撮りした時の黒澤明監督『生きる』を見た時の〔感想文〕が見つかったので、参考までにコピー貼り付けしておきます。今から5年前の感想文です。
2018年7月7日(土) 『生きる』1952年(昭和27年) 東宝映画
学生時代に有楽町駅の近くにあった数寄屋橋のニュー東宝シネマ1だったか、シネマ2のどちらかで〔東宝名作シリーズ〕の第1回目の映画として鑑賞して以来であるから、40年以上前の話である。
〔デジタルマスター〕版ではないので、今にも消え入れそうな白黒スタンダードの画面の中で黒沢明監督の名作が映し出されていく。
胃がんと診断された役所の市民課長の主人公(志村喬)が残された時間(生きている時間)の中で地域住民のたっての願いである公園を造るお話である。前半部分は主人公の日常での出来事と胃がんを宣告され〔残された時間〕の生き方が見えてこないで自堕落な生活の日々。そして〔残された時間〕に何をすれば良いのかを見つけ〔生きている時間〕を公園造りに没頭する。そして五か月後に死に、後半の〔葬儀〕へと物語が進む。室内劇というスタイルを通して葬儀に参列した人々から回想シーンの形を通して主人公の身上が浮かび上がってくる見事なドラマ構成である。完成された公園で雪の降る日にブランコに乗り、一人静かに〔ゴンドラの唄〕を歌うシーンはこの映画最大の見せ場であり、主人公の〔自分史〕を完結させる場面である。
官僚主義に対しての黒沢流の〔意見〕を随所に盛り込みながら、手柄や成績(評価主義)ではなく自分の信念を貫けば、〔見ている人〕は見ているし、〔世の中〕はこうあらねばならないという〔残された時間〕の中で自分史を綴らなければいけない主人公(志村喬)にとっては自分に対しての評価主義など二の次であるという黒沢のメッセージが伝わる。
金子信雄の何と若いことか。小田切みきが好演。他にも左卜全、藤原釜足、千秋実、加東大介、宮口精二等懐かしい顔ぶれがズラリ並んでいる。
再見して感じたことは〔テレビ〕画面向きではなく腰を据えて見る〔劇場〕向きと感じた次第である。145分 ☆☆☆☆
みんなの感想
おやじ
駄目だこりゃございました
丸輪零


人生一度きり。泣いて笑ってじたばたしよう。

良い所はオリジナル。悪いところはリメイクの典型例。展開の遅さにびっくりした。

今から70年程前の黒澤作品をカズオ・イシグロ脚本、オリヴァー・ハーマナス監督が蘇らせてくれた。
黒澤の『生きる』は48年程前に、当時〔東宝名作シリーズ〕の第1弾としてリバイバル公開された時に見ている。モノクロ・スンダードで音声も、画質も決して良くはなかったと記憶している。志村喬、小田切みきが抜群で映画は素晴らしかった。
イギリス版は1953年のロンドンを舞台にしている。時代背景としては黒澤映画と同じである。違いは第二次世界大戦の勝者と敗者の差であり、街並み、生活様式に豊かさを感じる。
映画の冒頭にも登場するSLがイギリス郊外を走っていくシーンが牧歌的で美しい。ロンドン市内を走っている二階建ての赤いバスなどを今どき珍しい、スタンダードサイズの画面で写していく映像に黒澤映画へのオマージュを感じる。
見ていて上手いと思った箇所(場面)があった。黒澤映画との比較になるが、この映画最大の見せ場は〔主人公〕が亡くなってからの展開である。
黒澤映画は主人公の家でお通夜を通して〔室内劇〕いうスタイルで個性的な役者(千秋実、左卜全、藤原釜足)が故人を語り合うシーンをイギリスではどのように再現するのか?と興味を持ってみていたら、〔列車内〕という〔室内〕を利用して再現してくれた演出と上手さに感心した。
渋い内容で、派手な見せ場はないが、人の心に突き刺さってくる魂のぬくもりを感じる映画で、雪の降る寒い夜にブランコを漕いでスコットランド民謡〔ナナカマドの木〕を歌っているシーンは、黒澤映画にひきをとらないラストである。
※追伸
BSで録画撮りした時の黒澤明監督『生きる』を見た時の〔感想文〕が見つかったので、参考までにコピー貼り付けしておきます。今から5年前の感想文です。
2018年7月7日(土) 『生きる』1952年(昭和27年) 東宝映画
学生時代に有楽町駅の近くにあった数寄屋橋のニュー東宝シネマ1だったか、シネマ2のどちらかで〔東宝名作シリーズ〕の第1回目の映画として鑑賞して以来であるから、40年以上前の話である。
〔デジタルマスター〕版ではないので、今にも消え入れそうな白黒スタンダードの画面の中で黒沢明監督の名作が映し出されていく。
胃がんと診断された役所の市民課長の主人公(志村喬)が残された時間(生きている時間)の中で地域住民のたっての願いである公園を造るお話である。前半部分は主人公の日常での出来事と胃がんを宣告され〔残された時間〕の生き方が見えてこないで自堕落な生活の日々。そして〔残された時間〕に何をすれば良いのかを見つけ〔生きている時間〕を公園造りに没頭する。そして五か月後に死に、後半の〔葬儀〕へと物語が進む。室内劇というスタイルを通して葬儀に参列した人々から回想シーンの形を通して主人公の身上が浮かび上がってくる見事なドラマ構成である。完成された公園で雪の降る日にブランコに乗り、一人静かに〔ゴンドラの唄〕を歌うシーンはこの映画最大の見せ場であり、主人公の〔自分史〕を完結させる場面である。
官僚主義に対しての黒沢流の〔意見〕を随所に盛り込みながら、手柄や成績(評価主義)ではなく自分の信念を貫けば、〔見ている人〕は見ているし、〔世の中〕はこうあらねばならないという〔残された時間〕の中で自分史を綴らなければいけない主人公(志村喬)にとっては自分に対しての評価主義など二の次であるという黒沢のメッセージが伝わる。
金子信雄の何と若いことか。小田切みきが好演。他にも左卜全、藤原釜足、千秋実、加東大介、宮口精二等懐かしい顔ぶれがズラリ並んでいる。
再見して感じたことは〔テレビ〕画面向きではなく腰を据えて見る〔劇場〕向きと感じた次第である。145分 ☆☆☆☆
人生一度きり。泣いて笑ってじたばたしよう。
良い所はオリジナル。悪いところはリメイクの典型例。展開の遅さにびっくりした。
悩みを話しただけで、そこまで割り切れて、ポジティブになれるだろうか?
日本の武士道、イギリスの騎士道の世界観が顕著に表れた様に思いました。
とはいえ、原作「生きる」をリスペクトして、忠実に描写しているところや、映像の美しさは素晴らしいの一言ですね…❤
なぜ、黒澤作品のリメイクは欧米作品だと、素晴らしいのに、日本でリメイクするとアカンのか…単に日本の監督、スタッフ、役者の力量不足なだけなのかな…?
永年の疑問です………。